ある日、離れて独り年金で暮らす老齢の母に電話をした。
外出する用事も特になく、毎日どう暇をつぶすかが大変で、一日中誰とも話さない日も多いらしい。
母の人生は苦労の連続。私の知る限りでも過去にいろんなことがあった。それでも子どものためにと奔走し、自分の人生は置いてけぼり。
そんな母のことを思うと、このままフェードアウトしていく人生など割に合わないと感じた。
母の人生後半戦、華やかにデザインしたいと思った。
母はかねてから編み物を趣味にしていた。2時間ドラマを見ながら、かぎ針編みで小物を作るのが良い暇つぶしになるらしい。
ある時、母の元を訪れると、行き場のない編み物の小物が山になっていた。どれもこれも虚しいほど丁寧に作られていて、いかに持て余している時間が膨大であるかが見て取れた。しかしそこに形となって吐き出されていた母の「有り余る力」はまだまだ瑞々しく、とても無駄にできるようなものではないと感じた。
この力を何かに活かせないものか?あれこれ考えあぐねていると、ひとつピンときたものがあった。それが「あみぐるみづくり」だった。
私がイメージを起こし、母がそれを感覚で編む。そんな「親子でひとつのあみぐるみ作家」という母の余生はどうか。
母に一通りこの余生のデザインプランを話すと、涙まじりに笑って言った。
「あんた、なんだか体の力がみなぎってきたよ」
母が武者震いしながら言ったその言葉が妙に可笑しくて笑った。
70代と40代。始めるには遅すぎる、親子によるあみぐるみ作家活動がゆるりと始まる。
私たちには夢がある。いつかパリで個展を開くのだ。
とはいえ、私としては特段パリにこだわりがあるほどでもない。作ったあみぐるみの展示や発表を通して、ほとんど地元から出たことのない母が、まだ見ぬ土地で作家としてそこに立ち、新たな自分の人生を噛み締めてくれさえすれば、本質的にはそれでいいと思っている。
ただ夢は壮大なほどおもしろい。老後の暇つぶしにしか使っていなかった編み物の力を持ってして、芸術の都・パリを訪れるような未来がやってきたら、母の人生どれだけ華やぐだろう、と思う。
まだ一歩踏み出したくらいだが、どこか乾いたような目をしていた母はもういない。
私たち親子は私たちらしい小さな舟に乗り、いつかパリに流れ着く夢を抱きながら港を出た。嘆かれるばかりの超高齢化の波の上、ゆるりと老いを笑いながら漂っていこうと思う。
ALNICO DESIGN平塚大輔